“恥”の研究者、ブレネー・ブラウン博士。 あなたの不完全さこそが世界へのギフト。


天使みたいな赤ちゃんを満面の笑顔で抱いている女友達の写真、何年も携わっていたプロジェクトで世界的な賞をとったという友人の投稿、そして海を臨む高級レストランでシャンパン片手に笑顔の知人たちの勇姿をFaceBookで目にすると_。

「…わたし、このままでいいのだろうか ?」

と、言いようもない不安がやってきます。

FaceBookの投稿はいわばその人の人生の一部であり、そのすべてではない。さらに言えば、誰かと自分の人生を比べることは、そもそも意味がない。頭ではわかっているけれど_。

人類学者アライエン・アンジェレスは、私たちには4つの中毒があるといいます。それは


1.強烈さへの中毒(愛が欠けているときに現れる)

2.完璧さへの中毒(本当の優秀さを誤解し、本当の力が理解されていないときに現れる)

3.知識への中毒(知恵の反対である)

4.機能しているものよりも機能していないものにフォーカスしてしまうという中毒(大きな視点で物事を捉えてないときに現れる)

十分に知識がない。偉くない。金持ちじゃない。痩せていないし、スタイルがよくない。あれが出来ない、これを持っていない。綺麗じゃない_。

私たちは何かを得たり、今の自分の状態ではない何かを目指して必死に頑張っています。理論武装するための知識を得ようとしたり、キャリアや虚栄心という盾を得るために走り続けなければならない。それが今のほとんどの教育・社会構造の中でサバイバルするための術だと感じます。もちろんその学びや努力が「その人自身で在る」という本質につながるものだったら良いことだと思いますが、「私はどうなればいいのか」「どうすれば他者からの承認が得られるのか」ということが原動力だとしたら? 自分の“弱点”を隠すために、「もっともっと」と無意識に自分を追い込んでいるなら、早かれ遅かれ肉体的、精神的になんらかの形でその歪みは現れます。かくいう私はそうでした。

社会心理学者のブレネー・ブラウン博士は、アメリカ・テキサス州にあるヒューストン大学ソーシャルワーク大学院の研究教授。彼女は長年“恥”の研究をしてきました。

そもそも彼女は、ソーシャルワーカーとしての10年間のバックグラウンドを持ち、博士課程で関係性について研究していました。リサーチを開始して6週間、人が他者との繋がりや心の触れ合いを感じ、関係性を持つための能力には、“恥”という感情が大きく関わっていることに気がつきます。以下は彼女のTED Talksです。

ブラウン博士によれば、罪悪感(guilt)とは自分の行った行為への後ろめたさであるとするいっぽうで、恥(shame)とは、自分の存在そのものが十分ではないとする感情だといいます。このままの自分では嫌われてしまうのではないか。私は疎まれたり、重荷になってしまう存在ではないか_。自分は人と関わるのに値しない人間だという気持ちやその堪え難い心のもろさが、他者との繋がりを失ってしまうことへの怯えとなります。この感情は無くしたほうがいいというわけではなく、逆にそんな不安や恥の感情が全くなくなってしまうと、共感力や繋がりも生み出せません。

博士が6年もの月日をかけて治験者をインタビューしたり、グループディスカッションをしたりと何千ものデータを取ったところ、人から愛されていると感じられ、他者との繋がりを築ける人は、自分は愛するに値する、価値がある人間だと信じていることがわかりました。彼らに共通していたのは、恥の感情やもろい心といった避けたくなるような”弱点”を含めたあるがまま(Wholehearted)の自分を受け入れていたというのです。

勇気とは英語でcourage(カレッジ)といいますが、“心”を表すラテン語のcorを含み、そのもともとの定義は“自分のことをありのままに話すこと”なのだそうです。つまり博士は、真の繋がりを持てる人は、“不完全であってもよい”として、等身大の自分を認められる勇気を持っていたといいます。その結果、あるべき姿に関してはあきらめていたというのです。

彼らは傷つくことをよしとして、相手の気持ちがわからない段階で先に「愛している」と自分の思いを伝えられる成功する見込みがなくても、今行動を起こすことが出来る。損得勘定を抜きにして、うまくいく保証や見返りがなくてもありのままを愛せる。人から愛されたり、受け入れられたりするためには、自分は今とは違う“完璧”な“もっと素晴らしい”人にならなければいけないという歪んだ信念から自由な人たちなのです。

つまり心を通い合わせるためには、“弱点”を隠そうとビクビクし続けるのではなく、自分に対する思いやりがあって、背伸びしない自分をさらけ出すことが絶対的に必要なのです。


ブラウン博士は、”不完全”な自分をギフトだと捉えて(彼女は“不完全さというギフト(The Gift of Imperfection)”という本も書いています)「私は私でいいんだ」と思えたら、あれが正しいこれが間違っているといった罵り合いをやめて、お互いの話をもっと聞けるようになる。私たちは周りの人にもっとやさしくなれる。そして自分自身に対してもやさしくなれるのだと言います。

そして有名人やスーパーヒーローでもない、表彰式やパーティーの席にいるわけでもない。平凡な暮らしの中にありがたさを感じること。立ち止まって、持っていないものではなく、今あるものに目を向けて感謝をすること。それこそが真に非凡な喜びや幸せへと私たちをつなげてくれるのだといいます。

彼女がトラウマや大量屠殺といった恐ろしい出来事を乗り越えてきた人々に何が必要か、どうして欲しいかと尋ねたとき、彼らに「哀れみも同情もいらない。あなたが我が子の姿を見て、感謝する人であって欲しい。足るを知る人になって欲しい」と言われたのだそうです(博士は二人の子を持つ母でもあります)。

恐怖の瞬間や迷いのあいだにもどれだけ自分のことや相手のことを愛することができるのか。

愛する人々、子供や家族、遊び、コミュニティー、自然への感謝…。情報収集に忙しい私たちはこれらのあって当たり前のものを見逃していると彼女は言います。

あの人みたいにすごくない。ダイエットしようと思っていたのに、うっかりブラウニーを食べてしまった。スポットライトを浴びず、目立たない人生だ。今日もバカみたいなことを言ってしまった…。

それで、いいんです。

ブラウン博士によれば、そう思ったり行動してしまうあなたそのものまるごと全部をひっくるめて世界へのギフト。だからまずは自分に優しく、そしてその温かさを少しつづ周りの人にも広げていく…。そんな1日を過ごしてみませんか。